平内龍太(亜細亜)の部内規則違反はなぜ?中学高校やプロフィール!

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2020年注目のドラフト会議で亜細亜大・平内龍太選手(へいない・りゅうた)が指名されるのではと話題になっていましたが、見事、巨人ドラフト1位に指名されました!

平内龍太選手はドラフトで上位指名が有力視されています。

最速156キロを投げる平内龍太選手ですが、以前、亜細亜大学で部内規則違反をしていて出場禁止処分になっていました。

部内規則違反とは何だったのでしょうか?気になりますよね。そして、平内龍太選手の中学や高校についても、気になります!

今回は、「平内龍太(亜細亜)の部内規則違反はなぜ?中学高校やプロフィール!」 と題して、

・平内龍太(亜細亜)選手の部内規則違反はなぜ?

・平内龍太(亜細亜)選手の中学や高校は?

・平内龍太(亜細亜)選手のプロフィール

について、調査していきたいと思います!

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平内龍太(亜細亜)の部内規則違反はなぜ?

平内龍太選手は大学3年時、「部内規則違反」により出場禁止処分を受けていましたが、なぜでしょうか?

この「部内規則違反」の理由については、詳細を調べても情報はありませんでした。

亜細亜大学の野球部内での規則違反ですので、法律にひっかかるような違反とかではないかと思われますが、出場禁止処分なので厳しい処罰かと思われます。

しかし、亜細亜大学の野球部は地獄と言われており厳しくて有名です。

亜細亜大学OBのプロ野球選手が野球部時代を地獄と語っています。

例えば、阪神タイガースの赤星選手は、自身が書かれた著書の中で以下のように語っています。

  • 「なんでこんなところに来てしまったんだと思っていた

  • 「あそこに入って野球を始めた日から終わる日まで、一回もよかったと思ったことはない」

  • 「(もし厳しさを知っていたら) 進学先に選んだかどうかははなはだ怪しい」

  • 「もう1回、あの4年間をやるかと言われたら、絶対に無理」

  • 「何億とお金を積まれても無理」

  • 「もう思い出したくも無い」

     

他にも、横浜DeNAの山崎康晃選手もでさえも、「在学中に笑顔を見たことがない。」と言われています。

他にも、亜細亜大学の野球部は、

  • 練習中の嘔吐は当たり前
  • 規律を破った者はひとりひとりに謝罪して回る
  • 寮では同部屋の先輩が戻ってくるまで後輩は全員正座して待つ
  • 後にプロとして活躍した巨人の吉川尚輝選手が練習に参加してすぐに入学を取り消した。
  • 他の大学の野球部に亜細亜大の野球部の練習風景を見せたら、ドン引きされた。
 

などと、かなり厳しいといわれています。

しかし、卒業後はプロで結果を残した選手も多いため、亜細亜大学野球部で鍛えられた選手はプロでも通用するという証でしょう。

そのため、「部内規則違反」というのは、あくまで亜細亜大学・野球部内での違反ということであって、他大学では重大な違反ではなかったのかもしれませんね。

平内龍太選手は、1シーズン出場禁止となり、大学3年次秋のシーズンでは登板がありませんでした。

この間は、自らを見つめ直し、トレーニングに専念し、体重は4キロ増の94キロ。

トレーニングのためか下半身が安定してきたそうです。

さらには、冬場も週5日、平均150球の投げ込みを継続した結果、最速の156キロを出せるようになりました。

出場停止になってしまったものの、その間にトレーニングに専念したのは素晴らしいですね!

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平内龍太(亜細亜)の中学校は?

平内龍太選手の中学校は、兵庫県の魚住東中学校です。

兵庫県の錦が丘小学校を卒業後、魚住東中学校に進学しました。

平内龍太選手は小学校から軟式野球部をはじめ中学時代は、軟式野球部に所属していました。

中学時代から注目されていたそうです。

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平内龍太(亜細亜)の高校は?

平内龍太選手は中学卒業後、神戸国際大附属高校に進学します。 

神戸国際大附属高校に入学後は、1年生の秋からベンチ入りしました。

1年生の秋の兵庫県大会を制して、近畿大会に出場しました。

近畿大会では第1回戦に立命館宇治戦でリリーフとして登板しましたが、3連続押し出しフォアボールで逆転負けし、甲子園出場を逃しました。

その後は、1年生時の冬に腰痛を発症し、高校2年の登板の機会がありませんでした。

高校2年の秋の兵庫県大会で復帰登板し、2回戦の滝川高校戦で8回3安打7奪三振の好投で見事、完封勝利を記録しました。

3年時の夏の兵庫県大会では、準々決勝で山崎伊織投手(現在・東海大)のいた明石商業と対戦しました。

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平内龍太(亜細亜)のプロフィール!

平内龍太選手のプロフィールを紹介します。

名前:平内 龍太 (へいない りゅうた)

生年月日:1998年9月7日(22歳)

身長:186cm

体重:90キロ

平内龍太選手は亜細亜大学に入学して、1年秋から活躍をみせました。

1年秋からリーグ戦に登板し、5試合に起用され1勝1敗、防御率1.65の好成績をおさめました。

3年秋には前述のとおり「部内規則違反」で出場禁止処分で登板なしとなりましたが、自らのトレーニングを専念したことで体重も増えて156キロの高速球を出すことができるようになりました。

平内龍太選手は、とても努力家でものすごく練習をするそうです。

亜細亜大学の生田勉監督は、平内龍太選手のことを「ものすごく練習する。頑張りすぎて怪我をしてしまう子」と語っています。

平内龍太選手は大学入学前のキャンプで右太ももを疲労骨折したり、投球練習中には左脇腹の肉離れを発症しました。

それほど、努力家で頑張り屋なのです。

実は、平内龍太選手の家族はというと、伯父さん(お母さんのお兄さん)が、元プロ野球選手なのです!

平内龍太選手の伯父さんは、元プロ野球選手の永井智浩さんです。

永井智浩さんは現役時代は、ダイエーのピッチャーとして通算28勝をマークしまいsた。

1999年の日本シリーズでは日本一となり、優秀選手賞を受賞しています。

永井智浩さんは現在はなんとソフトバンクの編成育成本部長兼スカウト育成部長なのです。

実際に、永井智浩さんは、平内龍太選手をスカウト育成部長として見に行っています。

平内龍太選手は伯父の永井智浩さんの影響が大きいようです。

永井智浩さんのプロの現役時代を見て育ったと語っています。

平内龍太選手は、「伯父さんは、かっこよくて、僕の自慢でした。」と語っています。

そして、小学校1年生で野球をはじめた平内龍太選手はお正月にキャッチボールの相手をしてもらうのを楽しみに、伯父の武器であるフォークを見様見真似で練習したそうです。

高校時代には「エースになったら、グローブを買ってやるぞ。」という言葉を支えに、苦しい練習にも歯を食いしばって頑張ったそうです。

平内龍太選手は高校3年生の春に「伯父さんようなプロ野球選手になる」という思いを込めて、「夢」という言葉を刺しゅうにして寮に飾っていたそうです。

平内龍太選手がプロになれば、伯父さんの永井智浩さんも喜んでくれるでしょう。

永井智浩さんはスカウト育成部長でもあるので、ソフトバンクに入るということもあるかもしれませんね!

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まとめ

今回は、「平内龍太(亜細亜)の部内規則違反はなぜ?中学高校やプロフィール!」と題して、亜細亜大学の平内龍太選手の部内規則違反はなぜだったのか?ということや、平内龍太選手の中学高校時代のプロフィールについて調べてみました!

ドラフト会議はいよいよで楽しみですね!

平内龍太選手の今後の活躍も楽しみにしていきたいと思います!

 

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